この世が相対世界である理由

自分と価値観や感覚が違う人、あるいは意見が違う人が現れ、対峙すると、大抵は抵抗を感じる。
場合によっては、自分を守るため、あるいは自分の正しさを証明するために、その相手を非難したり、攻撃したりする反応を見せる。

しかし、自分とは違うものと対峙した時というのは、それを批判する機会ではない。
その機会を、自分を知る機会、自分を発見する機会にするのが、本来の活用方法である。

たとえば、光だけの世界では、光を認識できない。
だから、光が光であることを認識するには、闇が必要である。
同じように、あなたがあなたを知るためには、あなたと対峙するものが必要である。

これが、この世が相対世界である理由だ。

しかし、自分と相対するものを批判するのは、親に反抗することで自分が確立されたように錯覚している子供のようなものである。
自分が何者であるかを模索する、反抗期の子供と変わらない。

だから、自分と違うものと対峙したときは、ベクトルを対象に向けるのではなく、自分へ向ける。
そうして、自分がどういう人間かを知る機会にするのだ。
そうすれば、自分が何者であるかが分からずに苛立ったり、相手を傷つけたりすることもなくなり、そこに「尊重」が生まれる。

そして、自分が自分であることを知るために相対世界が必要なくなり、あなたがただ、あなたで在ることができれば、そのとき世界は平和になる。