承認欲求に駆られて真の幸福を見失う人々

自分の賢さを証明するために、必死に御託を並べる人。
自分が行っている仕事の凄さ、大変さを必死にアピールする人。
高級レストランに行ったこと、身に付けているファッションのこだわりを自慢する人。
自分より下に見る人を漁ってはその人の粗を並べ、自分がいかに優れた人間かを間接的に誇示する人。
自分が何者であるかを必死に説明する人。

これらはすべて承認欲求や自己顕示欲に駆られた果ての行為。
当の本人は強烈な欲求にどっぷり浸かっているから気付かないが、こういうのは本当にみっともないと思う。

彼らは、自分と人と比較して、人より上であると感じることでしか幸せを見出だせない。
欲の海に溺れ、何か掴まれる物はないかと必死にもがいている状態と変わらない。
そういう人というのは、表面的なことを飾ることばかりに注力するから、真の人間性の充実はなく、肝心なことが言えない。

では、なぜ、このような愚かな行為に浸かるのかといえば、結局「自信」がないからに他ならない。
それもそのはず、本当の自信というのは外的要因は一切関係がないからだ。
だから、外的要因で偽物の自信を繕うほど、その人の真にある幹は貧弱なものになる。

本当の自信というのは、今この瞬間に、自分の中心を通る主軸に意識を集中させ、ただそれを感じるだけでしかない。
つまり、あなたが今この瞬間にここに在る、という感覚こそが、真の自信、真の幸福なのだ。
言い換えれば、真の自信は、外的要因を一切取り払い、あなたの根源的な光、純粋なあなた自身を感じることでしか成立しない。

しかしながら、欲求に駆られて外的要因ばかりを固める人は、このシンプルな原理を知らないから、その空虚さを埋めるためにベクトルを外へ外へ向ける。
その挙げ句、その人の精神性や真の幸福はより一層希薄なものになる。

真の幸福、真の自信は、謙虚さ・誠実さのうえに静かに鎮座する、あなた自身の純粋な感覚なのだ。